徒然参拝日記「清水寺」京都・名古屋旅行3日目

京都駅から、電車で1駅ほどワープし、そこからひたすら歩く歩く歩くーーー
特にどこに行くんかいつものごとくわざと発表がないので、目的地がわからんまま歩くのはかなりの苦。
モワモワと空間がおかしくなっているような異様なアスファルトの上をひたすら歩き、ふと上を見上げると、清水寺の案内板を発見
どうやら、清水寺を目指しているっぽい。
案内板があと3kmと書いてあったような気がしたけど、何となく清水寺が近いなー的雰囲気がむんむん漂ってきている界隈にたどり着き、そして清水寺近道という案内を発見

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山村美紗サスペンスの赤い霊柩車でよく出てくる清水寺への道は和雑貨のかわいいお店がひしめく魅力的な道だったような気がするんだけど、この道は多分、違うかも
でも、茶わん坂って名前は陶器好きの私としてはグっとくるし。

京都の陶器とかめっちゃ目の保養になりそうーーーと、わくわくしながら長い登り坂を歩いたけれども...。
お店がポツポツーーーとあり、骨董屋なのか何なのかよくわからんけど、お店に入れる雰囲気ゼロ。
ガラガラっと戸を開ける勇気は私にはないなと思いながらちゃわん坂は通り過ぎただけで終了ーーー

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てことで...
暑い中、ただただ、坂道をヒーヒー言いながら登りましたさ
そして、いよいよ清水寺に到着したっぽい

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ちょっと階段を上ると、見覚えのある景色に突入ーーー

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まずは正門になる仁王門をくぐりました。

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1467~1477年の戦によって焼失し、16世紀初めに再建され、2003年に解体修理されました。

2003年に解体修理されたから、見かけがこんなに新しいんじゃねー

更に進んで行くと重要文化財の三重塔が見えてきました。

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極彩色でめっちゃ存在感のある三重塔は、説明文があったので、ここに書いておきまする。

この塔は、清水寺御本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり 承和14年(847年)、葛井親王が勅命を報じて創建されたと伝えれています。
現在の塔は寛永9年(1632年)の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ29.7mに達します。
昭和62年(1987年)、文化庁の助成をえて、京都府教育委員会に委託して、解体修理、彩色復元の落慶をみました。
一重内陣の中央に大日如来像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天、華型幾何学様が極彩色で全面荘厳されています。
今回の修理で、全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ません。各重の丸桁(がんぎょう)、台輪(だいわ)、長押(なげし)などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元しました。


一重で見ると、軒下の丸桁の両端は摩竭魚(まかつぎょ)、中央は金剛盤に宝珠、中段の台輪の両端は出八双卍崩円竜(ではつそうまんじくずし)中帯は向かい蝶、下方の長押の両端は入八双若芽唐草、中帯は四弁花羯磨繋(かつまつなぎ)の文様になっています。

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それから更に本堂に向かって歩いて行きまするく

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本堂は工事中でも人が並んでいて、舞台に出るまでは人もみれでした。
本堂前には、説明板があったので、これもここに書いておきますねー

寛永10年(1633)、徳川三代将軍家光寄進再建。
東・北・西に裳階をつけた正面11間36m強。奥行9間30m強。棟高18mの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。
創建は平安建都と同期(8世紀末)、坂上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。
起こり桧皮葺き、寄棟造りの屋根や、軒廻りの蔀戸吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。
正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および、千手観音を守護する二十八部衆・風神・雷神を全体揃えて奉祀する。
外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝をする。
ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。
また、他の各欄間には江戸時代に彫刻して奉懸する面近く奉納されており、中央の間の金箔の太丸柱や折上小組格天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股(かえるまた)などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。
なお礼堂の東西両端に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ「舞台」を張り出している西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90kg、長さ2m62cm)・小錫杖(14kg)と高下駄(1足12kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下りの満願成就を感謝して奉納したもの。
弁慶の持物にふさわしいが、各所に奉納者の刻名が残っている。
すぐ前には出世大黒天が笑坐し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い痕筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の跡である。
東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖と称えられる白隠禅師(1689-1766)揮毫の観音経偈句「慈眼視衆生・福聚海無量」の堅額が揚がる。


説明文だけど、めっちゃ難しかった...読むのも書くのも...。

本堂が近くなると、工事中といえども、人が詰まってきました。

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人が多くて、細かくは見れなかったけど、歩いているとまず目につくのは出世大黒天

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室町時代の作品だけど、平成20年に修復されております。
出世大黒天、まさかのドラえもん体型
出世大黒天の隣に大黒天売店があり、以前に清水寺を訪れた際に、出世大黒天キーホルダーをお買い上げしたけど、数日で大黒天の頭の連結部分がちぎれて使えなくなってしまった...。
仕事運のなさは、こういうところに現れるなり...

本堂は平成の改修工事で一部工事中。
阿弥陀堂まで行き、離れたところで撮った本堂写真がこちらーー。

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屋根の葺き替え工事は終わったので、現在は足場の工事みたいね。
清水の舞台に立ってみると、ふと清水の舞台から飛び降りた気分で買ったまだ、一度しか使用したことがないニコンのデジイチを思い出してしまった...。
そうそう、舞台からの眺めはこんな感じでがんす。

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緑が深くて、何だかトトロが飛び出してきそうな

それから、阿弥陀堂、子安塔とグルっと周って、元の山門に帰ってきました
子安塔は、名前の通り、安産とかそういう関係の塔らしく、近すぎて写真が撮れなかった。
子安塔は本堂正面の位置になるので、子安塔から見た本堂はこんな感じ。

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本堂から見た子安塔は点みたいだったけど、ここまで歩いたとはねーー。

そして、帰りはちゃわん坂ではなく、賑わっている通りを歩きました。
山村美紗サスペンスの赤い霊柩車の撮影場所なんて歩いていると、片平なぎさが歩いていた場所とかピンとくるから、サスペンスマニアにはたまらんかったわー。
色んな坂があって、それぞれの坂に和雑貨のお店があり、こりゃ一日中物色できるかもね。
そういえば、何年か前におやびんとここら辺のどこかで舞妓さん体験をし、舞妓に扮してここら界隈を歩いたと思うんだけど、舞妓さんどころかちんどん屋みたいな私らがよくここを歩けたな...と今思えば赤面もんな体験だったな...。
まさか、清水寺に近かったとは...。

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ちゃわん坂と違い、お店が多いので、通るだけでウキウキしながら歩いていたら、八坂神社に到着。

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立派な神社じゃねーーと思いながら、参拝

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そして、別の門から出たら、なんとびっくり、祇園に出た
てことは、前回旅行に来た夜に祇園をそぞろ歩き、通りの突き当りにあった八坂神社がこの八坂神社ってことみたい。
まぁ、名前が一緒だから当たり前っちゃー当たり前だけど、清水寺の近くが祇園だったてのが衝撃的だった。

でも、コロナの影響で、前回気になって行きたかったよーじ屋カフェは閉まっていたのが残念...

なんだかんだで、まだまだわかりません、京都の位置関係ーーー。

清水寺
京都府京都市東山区清水一丁目294
075-551-1234
6時~18時(夏季のみ18時30分)

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