徒然参拝日記「北野天満宮に参拝しました」京都・三重の旅1日目

嵐山を散策した後は、北野天満宮へ。
北野天満宮は、菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
天満宮は、防府天満宮、太宰府天満宮には参拝したことがあるけど、まだ全国に1万2000社もあるんじゃね。
北野天満宮に来るまでは知らなかったんだけど、菅原道真公が過ごした最後の地が大宰府だから、てっきり太宰府天満宮が総本社かと思っていたわぁ...。
知らんとは恐ろしーー。

北野天満宮に向かっていたら、大北山の左大文字が見えてきました。

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盆に精霊を送る京都五山送り火で東山の「大」から始まり、松ケ崎の妙・法、西賀茂の船形、大北山の左大文字、最後に嵯峨の鳥居が点ります。
リアルに大北山の左大文字を見たので、浅田次郎の「活動寫眞の女」のラストに感動したのを思い出してしまった。

左大文字が見えたら、北野天満宮まではそんなにかかりませんでした。
まずは、北野天満宮の御由緒から...。

北野天満宮の創建は、天暦元年(947年)に、多治比文子、、神良種、最珍らがこの地に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987年)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004年)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけています。

そもそも、なぜ、天神さまというのかという疑問の解消はこちらを読んでくれい。

かつて帝がいた大極殿は今の京都御所より西にあり、北野の地は都の守護をつかさどる四方(北東、北西、南東、南西)の北西、「乾」の地として大変重要な場所とされていて、天地すべての神々「天神地祇」をおまつりした地主社が建てられました。
この地主社に向けて帝が大極殿から祈りを捧げられるとき、北野の上空には北極星が輝き、日・月・星の運行が天皇・国家・国民の平和と安寧にかかわるとする「三辰信仰」と結びついて、北野は「天のエネルギーが満ちる聖地」として篤く信仰されるようになりました。そして道真公がおまつりされると霊験はさらに増し、北野天満宮は天空をつかさどる「天神」の社となって「天神信仰」発祥の地と呼ばれるようになったのです。


総本山までくると、すごいことがわかってしまいびっくりだったわ。
パワースポッターたちが、ここぞとばかりに天のエネルギーを感じますなんてつぶやいてそう。SNSで。

早速、参拝なりーーー

まずは楼門が見えてきました。

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楼門は桃山様式で、左右には貴族の護衛の随神の像があります。
楼門の上部に掛けられた額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。平安時代中期の学者・慶滋 保胤(よししげ の やすたね)、大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を褒め讃えた言葉です。
巨大絵馬は、いつまでかわからんけど、毎年年末から飾られているそうですよ

更に進むと、今度は重要文化財の三光門が見えてきました。
この門も楼門と同じく、桃山時代の建築様式でございます。

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三光門というのは、門の梁に月と日が彫刻されているので、そういう名前らしいです。
でも、実際は、星がないので、星欠けの三光門とも呼ばれています。
何故に星の彫刻がないのかというと、門の上の夜空に北極星があるからだそうな。

門に掲げられている「天満宮」の額は、江戸時代の後西天皇親翰の勅額です。

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そして、国宝の社殿へ。

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御祭神は 菅原道真、
御相殿 中将殿(菅原道真の息子)、吉祥女(菅原道真の夫人)
です。

親族で祀られてて何だかいいね。と、罰当たりかもしれんけど、思ってしまった。
平安時代系の本を読んだ話では、無罪で大宰府に流された菅原道真公の怨霊を鎮めるために建立したんが始まりって聞いたけど...、もしかして、親族も流されたんだろうか。

社殿も楼門、三光門と同じく、桧皮葺屋根をいただいた桃山時代の建築様式。
それまでにも、火災などで修繕されましたが、慶長12年(1607年)に父・秀吉の遺志を受け継ぎ、豊臣秀頼が造営したといわれる建物です。
本殿と拝殿が石の間でつながり、本殿の西には脇殿、拝殿の両脇には楽の間を備えています。
御祈祷で拝殿に上がれたら、中の装飾も色々見れるみたい。厄落としで上がってみたいな、次は。
そうそう、学問の神様って言われている天神さまだけど、学問の神様って言われ出したんは、寺子屋が普及し始めた江戸時代だって。

そうそう、財運アップなどを願う人には...
北野天満宮には、大黒天の石灯籠へGO

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この石灯籠は、江戸時代に大黒屋を中心とする質屋さんの組合によって奉献され、石灯籠の中間地点の大黒天の鼻か口かはわからんけど、その中に小石を入れ、落ちなかったら、その石を財布に入れてお祈りしたらお金に困らないらしい。

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でもね...
何度やってもポロポロ小石は落ちて、とてもじゃないけど、そのまま入ったままになることは叶わなかったわー
何だか、お金が出ていく一方の一方通行みたいに思え、大黒天に頼るのはやめましたさ。

あとね、北野天満宮にはあちこちに牛置物があるんよ。
真っ黒い石の牛とか...

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柄ものの石でできた牛。

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牛の置物は、頭をなでると、頭がよくなり、体の悪いところをなでると、回復するかもとか言われていて、牛たちはなでられ過ぎてピカピカになっておりました。
今は、コロナの影響で牛をなでるのも禁止されとるかもねー

北野天満宮では、牛は神使とされていて境内には、10頭以上の牛の置物があるそうですよー。
牛が神使であるという理由は諸説あるようで、菅原道真公が丑年生まれであったとか、菅原道真公が亡くなったのが丑の月の丑の日とか、色々あるみたい。
牛がみんな座り込んでいるのは、菅原道真公の遺言で、道真公の遺体を運び、牛が座り込んだところに埋葬してくれとのことなので、実際に道真公を運んでいる牛が座り込んだ近くにあった安楽寺に埋葬されたそうです。
なので、北野天満宮や大宰府、防府天満宮の牛たちはみんな横になっているんですねーー。

あと、楼門近くにあった赤目の牛は,道真公のお供であった牛が、瞬きもせずに道真公を待ち、目が真っ赤になってしまったと言われているそうな。

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そうそう、北野天満宮で有名なのは、梅ですね
参拝した時もチラチラと梅が咲いていてきれいでした。

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梅を見たのもあり、帰りがけに、境内で売っていた災難厄除梅干(確か1000円くらい)をお買い上げし、北野天満宮を後にしました。
御利益ありそうなねー、北野天満宮の災厄厄除梅干なんて

ラストに北野天満宮の御朱印はこちら。

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天神様総本山に参拝できて、良かったわーー。

北野天満宮
京都市上京区馬喰町
075-461-0005

京都を後にし、ホテルがある三重県に移動ーー

途中、関サービスエリアで京都の老舗コーヒー、小川珈琲のお店を見つけました

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広島では、ドリップコーヒーで見たことがあるけど、お店は初めてなり。
早速、コーヒーを注文。

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せっかくの小川珈琲だったけど、紙カップだったのが残念...。
でも、美味しかったす

そして、まだまだ夜のイベントがあるため、夜ご飯は関ドライブインにて、松阪牛すき焼きをちゃちゃっと食べ、次なる目的地へーー。

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牛肉は美味しかったけど、その他の食材が(例えばすき焼きのうどんとか、野菜とか)が、とっても雑な感じだって、松阪牛を食べている気がしなかったな...。

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