徒然お出掛け日記「須磨寺参拝」(青春18切符の旅3日目)

ランチをどっさり食べた後は、街歩きではなく電車にしばし乗り込み須磨寺

須磨寺は真言宗須磨寺派の本山で、正式名は上野山(じょうやさん)福祥寺といい、仁和二年(886年)に、聞鏡上人が勅命を受けて、聖観世音菩薩像を本尊として奉祀したのが始まりとされています。

須磨寺は源平ゆかりの地と言われているので、先にその話を事前に知っておくと須磨寺を訪れた際にグっとくると思うので、長くはなるけど、いちいち書いておきまする

須磨寺の名前が全国的に知られるようになった大きな要因は、源平一の谷合戦の舞台になったことです。一の谷合戦が行われた時、須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えれれています。
海側に陣を構えた平家に対し、山が海にせまった地形を利用し、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけます。不意を突かれた平家は海へと逃げることしかできず、源氏の歴史的な勝利となりました。
その戦の時、元々は平家の武将で源氏に寝返った武将、熊谷直実が源氏の武将に後れをとるまいと、手柄を求めて一の谷合戦で浜に着いた時、平氏のほとんどは海に逃れていましたが、一騎だけ立派な鎧を着た平氏の武者を見つけ「敵に後ろを見るのは卑怯なり。返せ返せ」と呼びかけます。
すると武者は振り返り、直実に一騎打ちを挑み、あえなく倒されました。直実が首を取ろうと兜を取ると、その武者は直実の息子と同じ年の頃の16、7歳くらいの美少年。
直実が名前を尋ねると、若武者が「あなたはどなたですか」と聞き返し、名前を名乗ると、若武者は「あなたに名乗るのはよしましょう。あなたにとって私は十分な敵です。どなたかに私の首を見せれば、きっと私の名前を答えるでしょう。早く討ちなさい。」と答えたのですが、息子と歳の近い若武者を討つことができず、逃がそうとしました。
でも、結局、味方の軍勢が近づいてきたので、後の供養を約束すると泣きながら討ち取りました。
首を若武者の鎧で包もうとした時に、腰に一本の笛が挿してあり、そういえば今朝方、平家の陣地から笛の綺麗な音色が聞こえてきて、源氏の武将は皆感動をし、その笛の持ち主が若武者であったというのに気づき、直実は戦いの無常を嘆きました。
陣地であった須磨寺に首と笛を持ち帰った直実は大師堂前の池でその首を洗い、その前の大きな松の木の根方に腰掛ける義経が首実検を行い、平清盛の甥の敦盛で享年17歳であるとわかりました。
持ち帰った笛を見て涙を見せないものはいなかったといいます。
平家物語で一番涙を誘う「敦盛最期」はその後、日本人の心に深く染み入り、語り継がれてきました。
それ以来、須磨寺は敦盛の首塚が祀られ、敦盛の菩提寺として広く知られるようになりました。
敦盛の愛用していた「青葉の笛」は須磨寺宝物館に展示されております。


まずは仁王門が見えてきました。

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仁王門は、源三位頼政の再建で、仁王力士は運慶および湛慶の作と伝えられています。古い門なんですねーー

そのまま進んで行き、食べ過ぎて鈍くなっている体に鞭打って階段を上り...

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線香を立てて、本堂に参拝

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現在の本堂は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が再建したものだそうです。内陣の宮殿は応安元年(1368年)の建造で重要文化財に指定されています。

本堂の写真を撮っていないのが悔やまれるんだけど...。

須磨寺の全体図はこんな感じで、なんとなく宮島の大聖院の雰囲気を感じてしまいました。
同じ真言宗じゃけーかねー。

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本堂の隣には八角堂があり、中では信者さんがお坊さんにお経を唱えてもらっておりました。
八角堂は経木供養所・水向け所となっております。

その隣にはパンフレットには説明がされていませんが出世稲荷社がありました。

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祭神は尾玉・荒熊・末廣三明神で、平清盛公が、福原遷都の折り、都の守護神として湊川の畔に祀り、武家として立身出世を成した為、出世稲荷として港町で最大の稲荷社として知られておりましたが、明治中期に湊川改修の時に、平家ゆかりの須磨寺に遷座されました。現在の建物は平成26年(2014)改修されております。

出世稲荷社の奥には、三重塔があります。
写真の三重塔は弘法大使1150年忌、平敦盛800年忌、須磨寺開創1100年を記念して昭和59年(1984年)に再建された比較的新しい三重塔です。
旧塔は400年前に文禄大地震の際に倒壊しました。


三重塔方面に進むと、一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛の首塚がありますが...
写真は撮りませんでした。
胴塚は一ノ谷の古戦場のそば、国道2号線に面したところに大きな五輪塔があり、室町時代に建てられた敦盛塚です。

他にもミーシャぐま像や五猿、きんぽとん童子など何か知らん色んな像が点々としておりました。
あと、面白かったんは小石人形舎

石ころで人物を作っております。
こちらは、初陣で討ち死にした悲劇の平敦盛

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青葉の笛を吹いております。敦盛の話を知った後では、何だかもの悲しい小石人形じゃね。

他にも色々と平安時代の小石人形もあったけど、あとは松尾芭蕉の小石人形もあり。

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実は松尾芭蕉は平家物語の大ファンで青葉の笛を見に須磨寺に訪れております。
拝観料が高かったらしく、結局、芭蕉は青葉の笛は見なかったそうだけど。
松尾芭蕉が詠んだ句がこちら。

松尾芭蕉
須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇

正岡子規、与謝蕪村などなど、著名な歌人も青葉の笛を見に訪れ、それぞれ歌を詠んでおります。

正岡子規
暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外

与謝蕪村
笛の音に 波もよりくる 須磨の秋

司馬遼太郎の坂の上の雲にも書かれているけど、子規はとにかく食に関してはかなり貪欲。
須磨寺に訪れた際、敦盛蕎麦を食べたそうだけど、不味いこと甚だしいとグチっていたそうな。
敦盛蕎麦、現在もあるそうなので、実際食べて実証してみたいわぁ。

そうそう、須磨寺から御朱印収集を再開することにしました
御朱印帳も須磨寺でゲット。
お坊さんに記念すべき1ページ目に書いて頂いた文字が達筆過ぎてびっくりした

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前日に京都の神社仏閣を巡ったんだから、前日に御朱印帳を手に入れておけばよかったとちょっと後悔...

そして、またJRの須磨駅へ...。
この時気付いたけど、須磨駅って目の前が砂浜。

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須磨寺帰りだと、なんとなく一の谷合戦を想像してしまいますねーー。
目の前が砂浜な駅って旅情効果抜群ね。

大本山須磨寺
神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
078-731-0416
8時30分~17時

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