徒然お出掛け日記「国宝元離宮 二条城へ行って来ました」(青春18切符の旅2日目)

旅行2日目は中京区にある世界遺産 二条城へ。

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私自身が二条城の存在が人生で全くなかったので、二条城の知識ゼロで入城でございます。
とりあえず、パンフレットを見て、二条城とは をパパっと読みました。
パパっと読んだ二条城の説明書きはこちら~。

二条城は1603年(慶長8年)、徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたのです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。
二の丸御殿、二の丸庭園、唐門など、約400年の時を経た今も桃山文化の遺構を見ることができます。1994年(平成6年)、ユネスコ世界遺産に登録された二条城は、徳川家の栄枯盛衰と日本の長い歴史を見つめてきた貴重な世界遺産といえます。


とりあえず、徳川家康が築城したんはわかったっ

それでは、荷物預かり所にスーツケースを預け、早速、城内へーー。
まず見えてきたんが、重要文化財の東南隅櫓(とうなんすみやぐら)

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東南隅櫓は寛永3年(1626年)の寛永行幸に際し建設された隅櫓の一つで、1788年(天明8年)の大火で多くの櫓が消失し、現在ではこの東南隅櫓と西南隅櫓の2つが残るのみで、東南隅櫓は西南隅櫓よりも一回り大きい。東南隅櫓は一階屋根に「千鳥破風(ちどりはふ)」が載せられているのが特徴です。1階の外堀に面する出窓には、東大手門と同様「石落とし」を備え、攻撃と防御の要となっています。内部は板敷きで、二階にだけ「棹縁(さおぶち)天井」が張られています。また、火縄をかける釘が打たれており、鉄砲を収納していたことが分かります。

そしてお次は国宝の二の丸御殿の塀が見えてきました。

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早速、二の丸御殿へ...。
この正門は重要文化財の唐門でございます。

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唐門は1626年の寛永行幸に際し、その前年に建てられました。屋根の前と後に、優美な曲線を描く「唐破風(からはふ)」がつけられていることから、唐門と呼ばれ、格式が最も高く、御所や内裏では御幸門(みゆきもん)とも呼ばれます。柱から上の空間全てに彫刻が入っており、鶴や亀、松竹梅、蝶に牡丹など長寿や吉祥を象徴する彫刻が多いですが、龍に虎、唐獅子等の霊獣と考えられる彫刻も多く、唐獅子は全部で10頭います。

門をくぐる時に見上げた彫刻はめっちゃ細かくて、繊細

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細かい彫刻だけど、中国の建造物の彫刻と比べて、決して派手ではなく、日本ならではの雅やかさを感じるわー。

二の丸御殿では撮影禁止
なので、御殿の外観の写真しか撮れませんでした

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二の丸御殿は、将軍上洛の際の別館として、徳川家康により江戸初期の慶長8年(1603年)に造営され、寛永3年(1626年)、後水尾天皇行幸にそなえて、15代将軍慶喜により、大政奉還の発表が行われました。
御殿は全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構であり、江戸城、大阪城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として、昭和27年(1952)に国宝に指定されました。内部を飾る障壁画は日本絵画史上最大の画派である狩野派により描かれました。現在画数は2000面を超え、そのうち1016面が国の重要文化財に指定されています。訪問者を迎える壮大な遠侍(とおざむらい)から、公式な対面所である大広間へと、さらに将軍が普段くつろぐ白書院へと、各棟、各部屋は機能に合わせて規模としつらえを異にしています。


まず、車寄から入ると、遠侍の一の間・二の間・三の間があり、壁の絵は虎の絵が描かれておりました
ちなみに、遠侍は来殿者が控える場所です。
遠侍の奥の勅使の間は朝廷からの使者(勅使)を迎えた対面所とされていて、障壁画は優美な檜や青楓などが描かれています。

それから左に進むと、式台の間。
式台の間は将軍への用件や献上物を取り次ぐ場所です。
式台の障壁画は松
式台の間の後ろ側に老中の間があり、老中が控えていた部屋だって。
老中の間は3部屋に分かれていて、障壁画は一の間と二の間は芦雁図で三の間は柳鷲図。

それから更に左に向かって歩いていくと、大広間へ。
大広間は将軍と大名や公卿との対面所で、大広間には将軍さまや家来たちの蝋人形が置いてあるので、当時の雰囲気がめっちゃ伝わりますよー。
そして、ここでは大政奉還が行われました。
大政奉還が行われた広間をこの時間、ここで見ているというのは、何だか不思議なね。
障壁画は狩野探幽筆の松でした。
奥の方の四の間は、将軍上洛の時に武器を収めた場所といわれていて、障壁画の松鷹図は二の丸御殿の中でも最も有名なものです。

そのまま進むと、蝋人形の将軍様を後ろから見る形になるので、なんか不思議な感じでしたわぁ。

大広間の奥は黒書院で、江戸時代の名称は小広間。大広間に次ぐ公式の場です。
黒書院は徳川家に近しい大名や高位の公家などが対面する場所です。
一の間と二の間は満開の桜が目を惹くことから桜の間と呼ばれています。
襖絵は探幽の弟、尚信筆です。

一番奥は、白書院で、江戸時代には御座の間と呼ばれ、将軍の居間と寝室であったと考えられています。
白書院だけは水墨画で、一の間と二の間は西湖、三の間には伝説や歴史上の人物が描かれています。

部屋のそれぞれには、それぞれ用途や関わる人によって趣を変えた趣向になっていて、当時の情景を思い描かせてくれるわぁ。

そうそう、二の丸御殿の廊下を歩いていると、なにやら物の怪の類の鳴き声のようなピーピーとかキーキー、キューキューという音が聞こえてくるんだけど、これは廊下の目かすがいと釘のこすれによって生じている音らしく、元々生じていた音ではないそうな。
たくさんの人が廊下を歩くと、鳴き声の大合唱でなかなかのもんよ。

それから、二の丸御殿を後にし、二の丸庭園へ。
二の丸庭園からは、二の丸御殿を後ろ側から見ることができますよー

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二の丸庭園は特別名勝で、書院造庭園。

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二の丸庭園は1626年(寛永3年)に後水尾天皇行幸のために、作事奉行・小堀遠州のもとで改修されました。二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から観賞できるように工夫されています。

その後は本丸御殿の予定のはずだったんだけど...
本丸御殿は絶賛工事中

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本丸御殿に渡る東橋の先にある本丸櫓門だけ見ましたわぁ。

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本丸櫓門は寛永3年(1626年〉頃の建築で焼失した本丸西櫓門とともに本丸を防御する重要な門です。戦時には木橋を落として敵が渡れないようにし、さらに鋼板で覆われた扉を閉めた火器に備えました。本丸には井戸や米蔵もあるので、籠城戦の備えもできています。内側の土塀に見える穴は、鉄砲で攻撃するためのもので、まさに要塞の構えです。
寛永行幸の際に天皇は2回天守に登られましたが、その時の木橋は2階橋で、天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って地上を歩くことなく天守まで行かれました。


本丸庭園の角には天守閣跡があり、張り切って登ってみたけど、てっぺんはこんな感じでベンチのみありました。
天守閣は落雷で焼失したんだって

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以上
今回は中身がお堅くなってしまったジュンキーレポートだったけど、時代劇好きの私には妄想の素にもなったし、勉強にもなったし、江戸時代をめっちゃ身近に感じてしまいました

元離宮 二条城
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541番地
075-841-0096
入城時間:8時45分~16時(閉城17時)

オマケ
今回買ったもんは...
二条城な話なので、二条城の売店でゲットした二条城入城記念 遠侍二の間 竹林群虎図手ぬぐい

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二の丸御殿を見た後は、障壁画の手ぬぐいってことで、手ぬぐいコレクターの私としては、かなり興奮して鼻の穴パンパンだったけど...
いざ、こうして絵だけ見ると割と地味なね。
てか、手ぬぐいサイズの額縁に入れて壁に飾ったら、めっちゃいいんじゃないじゃろうか。
手ぬぐいサイズ額とかアマゾンに売ってないんかねーーー。

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